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photo:馬部文子



 My Nara

   早春の旅
    

Mar. 3(Sun.)


カラスの壺二尊
  岩船寺 ~ 浄瑠璃寺
3/3(日)
昨日まで4日連続して奈良定期観光バス利用。奈良早春の旅ということでシーズノフでしたので、毎回家族みたいに和気あいあい、楽しいグループ旅行をさせていただきました。乗客一名でも定期観光バスは名ガイドさんと出発保証という奈良交通さんには頭がさがりました。

奈良交通案内リーフレットを参照す。
           

               
             

今日は岩船寺、浄瑠璃寺への一人旅となる。

アクセス: 奈良交通バスターミナルで ‘浄瑠璃寺’乗車。(奈良・西の京・斑鳩一日フリー乗車券購入1000円) 40分程で浄瑠璃駅に到着す。 浄瑠璃寺バス停で 岩船寺 行きバス来ていたので先に岩船寺に参拝することにする。 フリー乗車券のはずなのにバス料金請求される。(なら交通バスでないので乗車券往復400円払う)。;ちょっとおかしいと思いきやー住所は京都なのだ(京都南端)、であるけど地理的には奈良に近く文化的にも南部の影響強い
奈良の県境だったのです。合点。  

16:00: ホテル着
17:30: 修二会(お水取り)へ

宿泊: みかさ 荘 (御葢荘)

             JR奈良 ~ 浄瑠璃寺 ~ 岩船寺 車窓風景

  
車窓から                         車窓から

岩船寺            
                        本堂  

奈良県境の小田原の東側に位置している古刹。天平元年(729)聖武天皇の勅願によって開基したと伝えられます。 平安時代の本尊阿弥陀如来座像、普賢菩薩像、鎌倉時代の十三重石塔や五輪塔、室町時代の三重塔(いずれも重要文化財)が造られました。(アジサイ寺」としても知られています。

三重塔
          


   本尊 阿弥陀如来像(平安時代)重文 ・ 四天王立像(鎌倉時代)京都指定文 
                      photo from leaflet
  
                     
                     普賢菩薩騎象像(平安時代)重文 
                                   photo from leaflet

                             十三重石塔

   
身代わり地蔵                           五輪塔


               
               地蔵石仏

                     


       
岩船寺前の店の元気なやさしいおばはん 元気もらいましたよ! 
”It's a short time, but I never forget the taste of tea you gave me."
            

一路 浄瑠璃寺へ向かう。
ゆるやかな道の入り口まで親切なおばあさんに案内された。又 来る日まで さようなら。長生きの秘訣は好きな畑仕事・観光客に会って...が楽しみで... といわれたけれど、プラス 自然の美しさはここは格別なんですから、天下一品の超自然がなによりの心の栄養になってるとおもいますよ。

浄瑠璃まで下りなのでラクラク、テクテク歩きでダイナミックな原始林の風景を楽しむ。.....
今日は岩船寺へ来てよかった! 私的だが My Nara の旅はここに来たことは大きなプラスになったと思う。 この素晴らしい自然に会えたhappyな自分を想う。   

以下 岩船寺から浄瑠璃寺で観た原始林はカメラを通してどの程度表現できただろう?? 

                 The Wild Scenic Beauty of Toono
                 岩船寺 ~ 浄瑠璃寺
                       

     

       

      
 
         

       

                  


           
                  カラスの壺二尊 (阿弥陀地蔵磨崖仏)(1343)

地蔵菩薩立像 (1343)
   



                    泉 涙暮
     父母に 呼ばれて仮に 客にきて
           心おきなく 帰るふる里
ここは左の石碑に関係あるお宅でしょうか。
ここにはあたたかい心で迎えるふる里が...

          
三叉路に建つ変わり灯籠で愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っている。

このあたりで奈良から歩いてきたという人に出会う。「私は山歩きが何よりも好きなもんで時間があるとつい来ちゃうんです。」 と、その人わるびれた風にいう。なんかそのことばじりに素朴さを見た。 でもうらやましく思った。 だってこんな素晴らしい景色が見られる山なんてざらにありませんからね。 ここには多くの木々とその種類の多さ・広大な大地の高低差、 空のワイドな広がりありで 春日山の原始林とも違うんです。 いつのまにかすっかりこの山のとりこになってしまった。 多分ここの原始林は京都の南端・奈良の県境にある・あったのが手つかずにおかれてたからではと胸中で勝手に想像巡らしてしまった。wild Toono

 

浄瑠璃寺へ
            
 " Wow, she looks great!"大阪からサイクルして浄瑠璃寺へ来たという。かような清々しい元気あるお嬢さんに会うと若返ります。 確か3時間で着いたって聞いた気がするけど?                               
          

浄瑠璃寺
[浄瑠璃寺流記事」によれば永承2年(1047)義明上人が薬師如来を安置、開基したとされている。浄土式庭園(史跡・ 特別名勝)に本堂(国宝)と三重塔(国宝)が向かい合う。本堂には藤原時代の9体の木造阿弥陀如来座像が横一列にずらり並ぶ。吉祥天立像は1月と春秋に開扉される。


               
              浄瑠璃寺山門
  
     
     浄瑠璃寺と手前の宝池(阿字池)
    

          
             三重塔

       
                            阿弥陀如来像(平安時代)木造・漆箔、
                     像高224~139cm photo from jtb


                         三重塔ー立石ー本堂を一直線に太陽が.........

                

      
      宝池(阿字池)の中島  左の立石が問題の石
      春秋彼岸の中日、太陽は三重塔ー立石ー本堂 一直線に沈むという。

      
      宝池(阿字池)
      
      

                  鐘楼


         
     
    
         
      山門までアセビが beautiful!
     

             

            
                                                                                           
             
浄瑠璃寺のちかくの蕎麦庵で昼食す。山菜そばセット 1100円也 まあまあのお味。

                       このバスでJR奈良駅へ帰りまーす。 5名乗車しました。 発車オーライ!

「お水取り」松明
1200年以上続くお水取りは大きい松明が一般の人々に代わって苦行を修め、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い懺悔する。 国家安泰と人々の幸福を祈る法会。

このめまぐるしく進歩・発展・便利な文明の栄える世界にあって1200年以上修二会の法会はつづいている。 興福寺の僧がこぞって興福寺を捨てた明治維新の廃仏毀釈のときでさえ戦国の応仁の乱の時もまた支配者の変わった鎌倉幕府成立のころもやめることはなかった。どういう変動期にも、深夜、二月堂のせまい床の上を木沓で走り、また跳ね板の上に自分の体を投げて五体投地をやり、あるいは(達陀 だったん)という語意不明のはげしい行法で松明を施回させてまわりに火の粉をふらせるのである。

修二会について私的に司馬遼太郎氏話されている興味を惹かれた印象深いことばがある。「様変わることが常の世の中にあって、千年以上かわることのないのが一つでもあったほうが.....むしろそういうものがなければ.....この世に重心というものがなくなり、ひとびとはわけもなく不安になるのではあるまいか。」「山河と同様、この世にはうつろわぬものがあるという安ど感をとしごとにたしかめるに相違ない。」 と。 ......

16:30: ホテル みかさ荘に着く。 
17:30: 「お水取り」東大寺二月堂へ急ぎ足ででかける。 番頭さんに近道を教わる。みかさ壮は、ささやきの小径の入り口にあり春日大社の前をまっすぐ少し歩くと二月堂に着いた。
  
5時過ぎ、旅館のすぐ横 ささやきの小径は 昼間でも薄暗いけどー2月堂への近道をいく

                 
 !!春日大社前に鹿さんに注意すべき立看板あり!!


    
春日大社二の鳥居からささやきの小径は禰宜(神官)たちのかっての通勤路だ。アセビの原生林に覆われた静かな遊歩道が500mほど続く。

 
ささやきの小径を抜けると.....              いちめん三笠山は真っ赤に染まっていた

18:00: すでに二月堂の境内は善男善女でぎっしりいっぱいである。 そのぎっしり一杯の人をすり抜けてかなり前の方に進むことに成功。 ふと前を上向くと ‘さらに前に進んだら’と声がかかる。’ ’ここらで十分です’と答える。  その親切そうな男の人の隣に居座る.(これ以上、前に進むと勾配ありで足場がおちつかず)お水取りまで30分ばかり待つことに。 隣の人60歳で、車で姫路からきた建築家という。   昨夜は奈良ホテルに泊ったとか、私は気になるホテル宿泊料を聞いてみると、’18000円でした。一回は泊ってみたかったです。幸い、妻子は来る気なく助かりました’と。 ゆかいな話を交わしてる中、7時のスタート時刻を迎える。  参拝客じっと堂上の回廊 松明を見守るかのように静まり返った。 あたり一面興奮させられる雰囲気につつまれた。

    

     

燃え上がる松明ー 僧の走っていく響き渡る心地よいリズミカルな沓の音ー 火の粉舞う。(松明の長さ8m、重さ60kg)3月1日に参拝に来た時はかなり激しい雨日であった。きょうは火の粉を受けて幸いなり(火の粉浴びると1年間病気しないそうです。)

松明終了後 本堂内の行法を見るため局に入る。 (神名帳読み上げ、走りの行、達陀など)見学するが局は見学者がいっぱいで後方から(余り視力良くないので)中の様子は見えない。1時間程してホテルに向かう。(徒歩20分位で着く)

(夕食はどうする?炙りさばずしを境内売店調達で持ち込むことにしたけれど.....) はホテルでの遅い食事と相成りました。

松明の火の粉浴びてその夜はぐっすり眠れました。     

                       

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     早春の旅

Mar. 4(Mon.)


 
築地塀つづく 風情ある 高畑町
 
 3/4(月
高畑茶論 ~ 志賀直哉旧宅 ~ 新薬師寺 ~ 白毫寺 ~高畑茶論 ~ 頭塔             
宿泊:: みかさ荘 (御葢荘)

奈良に来て以来、JR奈良駅近くのホテルに宿泊しておりましたが昨日から奈良公園の南、高畑町に移りました。 「みかさ荘」は志賀直哉旧宅の前にあって周辺ゆっくり散策できそう。榊原幸一氏は「大和路こころの旅路」の中でいう。”先人の歩いた跡を自分も歩いてみたいー旅とは旅を旅することだ。” と。高畑町は私にとって奈良に着いた一日目、破石町から地獄谷に向かって歩いた過酷なテクテクハイクの出発点の町でありましたが..... この周辺にはいにしえの奈良の香りが残ってる気がしてなりません。 かってここは神官たちが暮らした住宅街だったそうで崩れかかった築地塀(土塀)には何ともいえない風情を覚えます。 小学生の頃金沢の香林坊の近くでよく見かけた土塀が想いだされ懐かしい。....どうかいつまでもこのままでいてほしいと願ってしまう。その昔はどんな風だったのかとか考えめぐらし散歩していた。 「旅とは旅を旅することだ。」を実感.。旅とは先人の歩いた跡を旅することなんですよね。日本の先人達もそうしてきたんですから。

「みかさ荘」は志賀直哉旧宅の前にあり高畑周辺の散策には好適でした。

       
「お撮りしましょうか」「はい ポーズ」  庭園越しに若草山が見えて気分爽快なり。  ここの茶粥は最高! 
07:47

高畑茶論と中村 一雄先生(洋画家)のこと築地塀(屋根付土塀)の続く道を歩いていた時ふと中村邸の表札(有形文化財と書かれている)を見る。突然、門が開かれ車が出てきたが車停まって中から紳士が現れた。’高畑茶論はもうすぐ開きます’と。 私聞く’もしかして中村一雄さんですか’...'そうです’と きさくに応えられ ここで カメラでワンショット。(普通では初対面では考えられないけど、聞いてみるものですね。 

高畑は志賀直哉が愛し、この地で「暗夜行路」を執筆し多くの文化人達と交流、ここは'高畑サロン’と呼ばれてましたが 現在志賀直哉旧居が存在するのは、それは隣人として親しかった中村家の尽力に負うところ大である。ーこれについては 埼玉に帰宅後 webで知ったことだけど。(昭和28年以降厚生省飛火野荘として使われていたが厚生省管轄下で鉄筋コンクリートに建て替えられることになっていた。 昭和50年ごろから中村氏によって志賀直哉旧居保存運動が起こり、やっと3年後ある大学のセミナハウスとして保存することになったという。)

志賀直哉旧邸の向かいにある「高畑茶論」(志賀邸の隣家 ・中村一雄邸のガーデンを開放して喫茶サロンとしたもの)に私が寄ったのはその日の1時頃になるのでしたが。(”勝手口の波打った瓦屋根の形、赤土色の土塀、南欧を想うステンドグラスの窓は素敵だ!なんかその喫茶サロンでコーヒを一杯飲んでみたい”と思った。

この日の夕刻 みかさ荘に戻って部屋のテーブル上に雑誌「月刊大和路ならら」がありページをめくってたら偶然 中村一雄氏について書かれたページをみた。そこには 「1919年その赤い屋根を持つ洋風のモダンなアトリエは洋画界の中心的画家、安達源一郎によって建てられたが、後 東京に移り 友人の洋画家中村義夫氏(エコール・ド・パリの画家として有名)に譲られ、現在その子息洋画家・一雄氏によって守られている」と。後、 埼玉に帰宅後 web で 中村先生についてのページを見た。「2008年日本橋高島屋に於いて個展を開催。」その投稿者はフランスで描かれた パステル画がばらしく気に入ったといわれてた。 私も見てみたい。

     09:50
中村邸表札
カメラ ワンショット 気軽に応じて下さりなんか感激しちゃった! イタリヤ人的風貌の紳士、中村一雄氏にこの午後、再会できて良かったと思う。 今時 相手の目線で 立場で話される人はいそうでめったに存しない、謙虚な方のように見受けられました。   
                          
志賀直哉旧宅 ~ 新薬師寺 ~ 白檀寺 ~高畑サロン ~ 頭塔   

                         



                     



                                         

志賀直哉旧居

昭和3年志賀直哉自ら設計し、数寄屋造りで有名な大工に建築された。1929年から9年間生活した家。 西洋や中国の様式を採り入れた当時としては斬新なデザイン。

      
09:56
               表門  


書斎 茶室


          
           庭

直哉の写真 二階客間 直哉書

              
               書庫

  
子供のために造ったプール                  ペットとして飼われたお猿さん


  


集まった文人・画家
当時奈良の水門町に住んでいた武者小路実篤らとともに白樺派文化の中心を高畑に開かさせた。 奈良の古い文化財や自然の中で多くの文化人はこの家に出入りしていた。 洋画家 中村義夫氏の名前も見られる。しかしなんといっても志賀直哉の高潔で人をわけへだてしない広い心、高い理想をもつ彼の芸術に文化人はひかれるものがあったからである。

志賀直哉旧邸 ~ 新薬師寺


                 


大和茶飲んで見たいわ いなり、こんにゃく田楽、雛おはぎあります。 ここの鹿さんたちは生存競争の負け組だけど、近所の人たちのサポートあり幸せですよ!

10:38
   
前に割烹屋さん、隣は八百屋さんありで  鹿さん見てると癒されます。 おやつなくてごめん!

新薬師寺  萩寺として有名。
                               
    
南門、境内の正面にある新薬師寺の表門。(鎌倉時代後期)重文 
 基壇は乱石積で、その上に大きな面取りした4本の柱が立つ四脚門
                     
10:58
           本堂            
新薬師寺は光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒を祈願して建立された。本尊薬師如来座像を囲むようにして十二神将像は安置されている日本最古最大の像である。新薬師寺という名前は「新しい薬師寺」でなく「霊験新たかなる薬師寺」の意。

           石灯籠
基礎部分の蓮台は天平時代のもの。 その上の灯籠は室町時代の作。








1279年建立の袴腰が珍しい。
中の梵鐘(ぼんしょう)は重文。-天平時代。
「日本霊異記」にある道場法師鬼退治で名高い。



十三重の塔
東大寺二月堂を始めた実中(じっちゅう)和上の塔。倒壊などで現在は五重の塔になりましたが、下2段は創建当初のもの。 奈良時代。


      
                                             from pamph
十二神将像(奈良時代)国宝。 朔像、 像高152~166cm位 
薬師如来を信仰するものをまもる、夜叉(やしゃ インド神話で森林に住む精霊)の大将です。
眼球は紺、緑、褐色のガラスの吹き玉で表現。表面は青、朱、緑、紫に繧減殺式繝彩色
(うんげんさいしき 同系統の色ごとに濃淡をつけて立体感を生みだす彩色法)で、今でも
部分的にいろ残ってる。お薬師様を守っています。  
 
                               
 迷企羅(めきら)大将像。寺伝では伐折羅(ばさら)大将像。「怒髪天を突く」を地でゆく

                from pamph              薬師如来座像 (木造、像高191cm)奈良~平安初期 国宝)。
一本のカヤの木から丸彫りしたように造られています。 手は恐れを取り去る印相で、左手は
薬壺を持っています。花の上の六軀の小仏は本尊と併せ七仏薬師を示す。薬師如来は東方
浄瑠璃世界の仏様です。悪いことが起こるのは貪(欲張り)、瞋(いかり)、痴(愚かさ)の三毒
によって生じる罪業の蓄積であり、 身を清め薬師如来の御前で罪を懺悔することで心の
けがれを取り除いて、悪いものを祓い、福を招くことができるという考えです。  


     
DVD の部屋では当時の十二神将のカラーを再現したものが見られた。 ドギツイ様だが
調和のとれた美しい彩色で目が覚めるようで印象的で。 もう一度見てみたいが.....

       

 會津八一歌碑 (あいづやいち かひ) 奈良を愛した會津八一の歌碑.....香薬師様を詠んだ歌
     ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬさびしさ
       (大意) 近づいて仰ぎみても、仏様は自分を見ておられないようでさびしい。

新薬師寺 ~ 白毫寺へ



                           
   

             


                                   

白毫寺

 
入り口の立て看板

                                                       
           参道
白毫寺(びゃくごうじ)  
山門を通り風情ある土塀のある石段を上ると高円山の中腹に立つ、白毫寺がある。
創建は奈良時代初期という。現在の本堂、御影堂は江戸時代の再建。天智天皇の子 
志貴皇子の別荘跡を寺としたのが始まりと伝わる。

           
               本堂  江戸時代 奈良市指定文化財 

       from leaflet
御本尊 阿弥陀如来像(重文) 平安~鎌倉 138cm high

                 

           
十王地蔵 (南北朝時代、花崗岩、高さ128cm 像高112cm 
凛とした表情ある地蔵さん達

        
 はっきり見えないけど表情豊かな地蔵さん達だ。                                

 
うす暗いのでよく見えないのが残念だが、趣ある地蔵さん 広い境内あちこちに
並んでる。

     
いにしえの人々もここから季節の風物、景色を見たりして遊んだことだろう。晴れた日には奈良平野、奈良市街、二丈山、葛城連峰まで一望できる。夕日 生駒山に沈む頃空は赤く染まりとてもきれいだそうです。 ここの眺望の良さは格別でした。                                                        12:53


             
                          万葉集歌碑
  「高円の野辺の秋萩いたずらに咲きか 散るらむ見る人無しに」715年志貴皇子逝去されし時作れる挽歌に対する反歌である。 「この歌碑に立つあなたは直線上3km先に志貴皇子のお墓に参拝されたことになり、これもお寺との因縁である。」と。

白毫寺 ~ 高畑茶論
      

高畑茶論 喫茶サロン

           
中村夫人のたてたコーヒーを飲んでいると、画家の中村氏がサロンに入って来られた。’今朝お会いした方ですね’ ’そうです’ ’洋画家ですね’すると 先生はしばらくすると、御自分の作品を数点もってこられた。 それは以前ヨーロッパに長く滞在されて描かれた作品だそうで南欧の風景画でしたが、その中で私は好きな絵があり、そういうと 中村夫人は言う。わたし達もそれが気に入っており近くにおいてるんです。’と。 中村氏の父上も洋画家でしたが 若き頃のご自分のこと、お父様と同年代を過ごされた画家藤田嗣治について訊ねてみたり愉快な時を過ごさせていただいた。先生には今日が初めてお会いしたのでしたが とても気さくでずいぶん話し込んでしまいました。 「こんなに志賀直哉について深くお話したことはなかった」といわれた。; 20歳の時、志賀直哉に会ったときの印象について話されたことにとても興味深く感じられ印象深い。そういえば若いころ「暗夜行路」読んだことがあったっけ。なんか暗いイメージがバックにあってよく覚えていない。こんど読めば前と違った興味がもてるかも、自分に期待!?奥さま(女優の淡路恵子さんに似てます)を交えての往年の有名人の話はずいぶん会話はもりあがり楽しい気分に。国立新美術館での(中村氏の出展作品ありで)光風会展のチケット2枚頂く。軽快なブラッシで描かれる作品はどんなのかしら楽しみだ。今 自宅でふと思うー中村先生はもしかしたら志賀直哉に似てるーいい意味で似てる気がする。ー 物 ・事 ・人に対してわけへだてしない広い心の持ち主だと。
                    
 13:45
                  Mr.Mrs. Nakamura
             

          
 南フランスの風景画  私の好きなパステルカラーの風景絵 

    
5月なんか ガーデンでの飲食はいいなあ。   南欧調のスタンドグラスの窓


          
      
国指定史跡   State - designated Historic Site
頭 塔  Zuto
頭塔は方形七段の土塔です。奈良時代の僧玄ぼう(?~746)の頭を埋めた墓と伝えられその名の由来とされ本来の土塔(どとう) が なまって (ずとう)となったようです。767年築いた古文書記録有り。役割としては五重塔と同様、仏舎利を納める仏塔。 往事の頭塔は、第1、3、5、7の4面に各11基、総数44配置されていました。数は確定していない。数少ない奈良時代後期の石仏として美術史上きわめて貴重なもの。

   

石仏は 1. 上に宝相華の天が蓋あり、下に供養菩薩の如来三尊仏像。
      2.  楼閣を背に三尊仏  それに、菩薩・比丘 加えた石仏有り。
          3.   如来座像1体の周囲に小仏を多数配置。    etc.                              

      
浮き彫り如来及両脇侍二者像           浮き彫り二如来及六侍者像

          
 
                                             

今日は静かな住宅地を通って趣ある古寺をまわって観てきました。 高畑は奈良の古都の香りする町 いつまでも記憶に残るであろう。今回の旅 とうとう 奈良市で最後の夜が来てしまった。 少しおやつはもっていたけれど、食事することなく歩きまわってしまったので腹ペコで夕食の席に着いた。他の泊り客は来ないのでどうしたのかと思ったら、お水取りに出かけたとのことー 納得。

          
18:43
                                      the last dinner in Nara city

                                             
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     早春の旅

Mar. 5(Tue.)



   石上神宮
日本最古の神社 

3/5(火)
09:30  ~ 11:00   入江泰吉記念奈良市写真美術館 観覧
JR奈良13:10発 ( 桜井線(まほろば線利用)天理 13:25着
やまべ 旅館 14:00出発し天理教教会本部、~ 山の辺の道 ~ やまべ旅館
山の辺の道 (第1日目)
石上神宮(いそのかみじんぐう) ~ 内山永久寺跡 ~ 夜都伎神社(やとぎじんじゃ)
 ~ 竹之環濠集落(たけのうちかんごうしゅうらく)

   

午前中 入江泰吉記念奈良市写真美術館にて入江康吉の作品を観覧。

11:30: みかさ荘チェックアウト。 13:40 :やまべ旅館チェックイン。
14:00: やまべ旅館 ~ 天理教教会本部 ~ 山の辺の道

宿泊 やまべ旅館
天理駅前から天理教本部あたりまで続く天理本商店街゙を歩いて行く。途中 かなり
空腹、中華3品セット(700円安いけどそれなりのお味でした。天理スタミナラーメンの方が
よかったのでしょうが...後悔先に立たず。)、遅い昼食をとって天理教本部へ。
近づくにつれ天理教の半纏をはおった人達を多く見かけたが、どうやら
「みかぐらうた」(教祖の考えを唄、踊りで体現す)をしてる様だ。

後に、見かける、2、3人で、「みかぐらうた」をやってるのを 八木駅、橿原駅前でも。
天理市は独特の景観を作ってる。天理教の幼稚舎、中、高、大学まである天理市は
天理教都市といわれる。 信者は全国からこちらに長期宿泊して学習している。 
宗教の力はすごい! "Religion has super power ")。 

やがて(駅から歩いて30分位で)荘大な木造建築の天理教教会本部に着く。そこでは
3、4人家族グループでしょうか、広ーい教会本部で独特の(今まで観たことがないので
独特と言わせてもらう)参拝光景を目にする。

入江泰吉記念奈良市写真美術館

               建物は黒川記章が設計。

大和路を撮り続けた写真家、入江泰吉 いりえたいきちの8万点及ぶ作品を収蔵。
その写真を中心に展示し、企画展も催している。 


昭和を代表する写真家の見た奈良の風景
  


           


         


入江泰吉 -いりえたいきちー
1905~1992。奈良生まれ、東大寺の旧境内で育つ。 兄の影響でカメラにのめりこみ
、大阪で写真展を開くが戦災で焼失。失意のうちに戻ったふるさとで歴史を物語る
美しい風景、優れた仏像に目を開かれる。以来50年近くの年月、ひたすら大和路を
とりつづけた。
日本写真協会功労賞、第24回菊池寛賞、勲4等瑞宝章。、

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奈良~天理 車中
   

天理駅前風景

              

     

天理教教会本部へ

  

   
    天理教教会本部

山の辺の道へ ー 東海自然歩道
山の辺の道は、天理から桜井まで約18k続く奈良盆地の東山麓に延びる古道。
 (天理の石上神宮から三輪山南麓まで。)
飛鳥と平城京を結ぶ全長約35k道として開かれた、「古事記」にも登場する日本最古
の幹線道路。

        
         ここから山の辺の道へ入る


石上神宮 ( いそのかみじんぐう )
布都御魂(ふつのみたま)大神を祭神。神武天皇ゆかりの神剣が御神体の神社。
崇神7年(紀元前91年)の創建と伝えられる。
飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神として、また 大神神社と同じ日本最古の神社と
して有名。百済国王から送られた七支刀を収蔵している。 大和朝廷の武器庫で
あった。明治初期、太刀や鏡、玉るいなどが出土した。

パワースポットとし大神神社と共に有名
 
国宝の檜皮葺(ひはだぶき)の拝殿は鎌倉時代の建築で、現存する拝殿としては
日本最古。
   

              
         あっ!鶏が、そこ、あっ!あそこにも !
         鶏たちは神のみ使い、放し飼いで賑やか。    
              

     


     

      
  
                
「さとはあれて 人はふりにし やどなれや 庭もまがきも 秋ののらなる」
                    僧正遍昭 作  ・ 古今和歌集 
里は荒れており、家の女主人(遍昭の母)も年老いてしまった住まいだからなのでしょう。 庭と言わず、垣根と言わず、一面に秋の野良です。



                                     


内山永久寺跡
永久年間(1113~18)に創建。 後醍醐天皇が一時身を寄せた大寺。
(太平記)春には桜が咲き、静かな畔を彩る。
           


     
後醍醐天皇が吉野遷幸の際に立ち寄ったと伝わる。坊舎50余りある大寺院だったが明治の廃仏希釈で廃寺とし今、池 残るのみ。

  

        
          「うち山や とざましらずの 花ざかり」
                  松尾芭蕉(宗房)の頃 作 (大和巡礼

今、内山永久寺に参拝してみると、 見事なまでに満開の桜でうめつくされている。土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもない。
   
  

内山永久寺跡 ~ 夜都伎神社へ

 


              

  

                      


             
                           
 

   
                                 道しるべ見るとホットします。

   
 石仏ですがお顔はっきりせず。

      

夜都伎神社 
春日神社とも呼ばれ昔から奈良の春日大社と縁が深かった。

        


          
夜都伎神社
春日大社の4神を祀り、拝殿の萱葺き屋根が珍しい。バス停への道に建つ鳥居は
嘉永元年に春日若宮から写したものである。

   
  
       
廣瀬 東畝 作   出典 不明
 山の道をはるばる歩いてきた。行く先には乙木の鳥居画、ひときわ赤く立っている。


            
               田んぼ道に忽然と現れた夜都伎神社の鳥居

竹之内環濠集落

    
                            標高100m、奈良県で最も高所にある環濠集落環濠集落は外敵を防ぐため、周囲に用水路を兼ねた水濠を巡らせた集落。 奈良盆地に多いが、標高100mのここは奈良県で最も高所にある環濠集落。集落の西側に中世の環濠の一部が残る。
    


        
         「ミレーの晩鐘」 とでもいえる 一面 麦畑?!! 17:30
                  長柄駅へ行く道を聞いた場所の近くの光景
 
やまべ旅館の女将さん きっと驚くかも。「初めてだし、歩いていけば相当な距離ー石上までで今日は暗くなるでしょうから」と。ー 大丈夫でしたけど ここから旅館まで帰るのが大変!、本当はかなり疲労困憊してた。 畑作業終え、車前で帰り仕度の70歳くらい農家の人に 長柄駅の道をきく。「まっすぐ行って左へそこからまだ......ー どこまで帰る - やまべ旅館? - いいよ、車に乗りなさい -まあ、夕食まで時間あるから」 そう言われ好意に甘んじ間もなく旅館に着いた。「お疲れなのに本当にありがとうございました。」..... " Thank you for giving me a ride to ...million of thanks.  I'll never forget his kindness. "

やまべ旅館のご家族、私が長柄までも歩いて そんなに早く戻ったのを不思議に思った様で種明かしを ”実は親切な農家の人に車に乗せて送ってもらったんですよ。
-私が美人だからかしら”  ご家族3人揃って 大笑いした。      

やまべ旅館は家族経営旅館である。 「あっ 私 うっかり学生部屋を予約したみたいですので」-「よろしいですよ。それはただ 種類分けにすぎないから」、といって学生料金でした。 (3700円でした朝食付で)  こんな安かったのに しっかりした洋風朝食でした。 コーヒー美味しかったので 今 我が家では 同じコーヒーを飲んでいる。  


      


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